人間の価値はお金や年収で決まると思っていませんか?
Youtuberなどに憧れ、お金を稼ぐこと自体に価値があると感じる人も多いでしょう。
しかし、「価値」とはどんな意味なのか考えたことはありますでしょうか。お金そのものに価値があると思っている方も多いのではないでしょうか。
でも、その「常識」とも思える見方は、それほど常識ではないのかもしれません。今回の記事ではお金の価値について考えてみたいと思います。
稼ぐこと自体に価値を見出す
昨年ごろからでしょうか。「ビットコイン」などの仮想通貨が注目され始めました。ビットコインに投資することで、「億り人」と呼ばれる億万長者がたくさん現れたことは記憶に新しいでしょう。
またYoutubeなどのサービスを活用して、テレビの芸能人のように活躍するYoutuberも子供たちに大人気です。面白いだけでなく、広告収入でお金を稼いでいることから、子供たちのなりたい職業にYoutuberが挙げられるようになりました。
億り人やYoutuberなどを見ていると、カンタンにお金を稼げそうに映ります。
お金をたくさん稼ぎたいという想いから、お金を稼ぐことそれ自体に価値を見出す方もいるでしょう。
ここで「価値」というコトバを用いました。モノを買ったり、銀行に預けたりする「お金」に対しても、価値という言葉が使われます。たとえば、「1両の貨幣価値は、現在のお金に換算すると10万円である」といった感じですね。
また、自分自身に対しても「価値」というコトバを使っています。「お金」というモノと、ヒトとを「価値」という同じ軸で扱っているように映ります。
しかし、「価値」とは一体何を意味するのでしょうか?またお金の価値を本当に正しく理解しているでしょうか?今回は、そのことについて話したいと思います。
「価値」という考え
goo辞書によると、「価値」とは「その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち」という意味です。
2018年6月、ゴッホが描いた初期の風景画がオークションにかけられ、約9億円で落札されました。これは、落札者にとって、ゴッホの風景画は約9億円の価値があったということです。
先述の言葉の意味から考えると、確かに、絵画を愛する人たちにとってゴッホの絵は価値があるからこそ、大金を払ってでもその絵を購入したともいえます。
しかし、絵画に関心がない人にとって、ゴッホの絵画は価値がほとんどないかもしれません。ここで、少し立ち止まって考えてみましょう。
「落札者にとってゴッホの絵は約9億円の価値がある」
「絵画に関心のない人にとって、ゴッホの絵画はほとんど価値がない」
と言いました。つまり価値は、「落札者」や「絵画に関心のない人」といった個人に依存して決まっているわけですね。
別に人でなくても構いません。昆虫でも、犬でも構いません。大事なことは、価値という存在が、価値をもつと考えられる対象の「外側」の何かにとってもつものだということです。
たとえば、「1両の貨幣価値は、現在のお金に換算すると10万円である」というのは、1両という小判の価値が、現在の日本の通貨「円」との対比で決まっているわけですね。
哲学では、これを「外在的価値」といいます。
重要なのは、「ゴッホの絵画」が「ゴッホの絵画」以外の「人」や「動物」、「モノ」などに依存して決まっているということです。
外在的価値と内在的価値
人や動物ではなく、対象そのものに価値があるのだという説があります。これが「内在的価値」ですね。対象の「内部」に価値があるというのが重要です。
では、ゴッホの絵そのものに価値があると考えられるでしょうか?
さきほど、ある人にとっては価値のあるゴッホの絵が、別の人にとっては価値のないものだと言いました。だからといって、ゴッホの絵そのものに価値がないということの証明になりますでしょうか?
少なくとも言えるのは、ゴッホの絵には万人に共通する価値があると前提できないことです。
内在的な「価値」があると錯覚
冒頭で、お金そのものに価値があると考える人がいるという話をしました。
これは、すなわちお金の内在的な価値を認めている人のことですね。「内在的な価値があるかどうかを考えて意味があるの?」という方もいるでしょう。
しかし、ちょっと立ち止まってみてください。われわれは、モノそのものに価値があると捉えてはいませんでしょうか?
たとえば、年収です。年収の高低を、あなた自身の価値と同一視してはいませんでしょうか。
なぜ、この2つを同一視する人がいるのでしょう。それは、お金そのものに価値があることを暗黙裡に前提しているからではないでしょうか。
お金そのものに価値があると考えてしまうと、さもそれが人間そのものの価値や自然そのものの価値のように高尚な存在のような錯覚に陥ります。
お金そのものの価値を追求するよりも豊かな生活を
そうはいっても、理屈として理解できても、われわれは「お金そのものに価値がある」という考えを捨てきれません。
お金そのものに価値があるというのは、われわれが日常で当たり前のように前提しているかもしれません。お金を稼ぐこと自体が目的になっている方にとって、その想いは強いでしょう。
しかし海外旅行をするためや、衣食住を満たすために交換可能であるからこそ、お金には価値があります。お金を稼ぐこと自体を目的に掲げていても、モノと交換されなければただの金属の塊であり、印刷された紙切れです。
つまり、お金の価値は外在的に生み出されるわけですね。
モノ自体に価値があるのではなく、外在的に生み出されると捉えることで、われわれにどのようなメリットがあるのでしょうか。
われわれが忘れがちですが、お金以外のモノにも価値があります。お金だけでなく、あなたにとって価値のあるモノによって、あなた自身の価値であり豊かさを求めると考えてはいかがでしょうか。
働き方改革が叫ばれる世の中だからかもしれませんが、山や農村で自給自足の生活をする方が現れています。畑を耕して食事を賄うので、都会で生活するよりはお金もかかりません。また家も自分で作れば、住宅会社にお金を支払う必要もありません。
彼らのような自給自足の生活をしている人たちは、お金を多く稼ぐかわりに、自分の好きな作業に時間を割り当てます。会社でのストレスを感じずにいられます。
彼らは自給自足の生活に価値を見出しています。お金を多く稼ぐことよりも、自分の好きな生活を送ることに重きを置いているわけですね。
別に、「自給自足の生活」そのものに価値を見出すべきとは主張していません。さまざまなモノの価値を俯瞰的に判断できる、広い視野が必要のではと申しているだけです。
お金そのものに価値があるという一見当たり前に見えている考えを一旦手放してみましょう。そうすることで、自分にとって一番価値のあるモノは何なのかが見えてくるのではないでしょうか。

学びのブログ編集部
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